水郷めぐり

2012-03-06 18:13:54

 約束した樣なせぬ樣な六月廿五日に、細野君が誘ひにやつて來た。同君は千葉縣の人、いつか一緒に香取(かとり)鹿島(かしま)から霞ヶ浦あたりの水郷を廻らうといふ事になつてゐたのである。その日私は自分の出してゐる雜誌の七月號を遲れて編輯してゐた。何とも忙しい時ではあつたが、それだけに何處かへ出かけ度い欲望も盛んに燃えてゐたので思ひ切つて出懸くる事にした。でその夜徹夜してやりかけの爲事を片附け、翌日立つ事に約束した。一度宿屋へ引返した細野君はかつきり翌廿六日の午前九時に訪ねて來た。が、まだ爲事が終つてゐなかつた。更に午後二時までの猶豫を乞ひ大速力で事を濟ませ、三時過ぎ上野着、四時十八分發の汽車で同驛を立つた。
 三河島を過ぎ、荒川を渡る頃から漸く落ち着いた、東京を離れて行く氣持になつた。低く浮んだ雲の蔭に強い日光を孕んでをる梅雨(つゆ)晴の平原の風景は睡眠不足の眼に過ぎる程の眩しい光と影とを帶びて兩側の車窓に眺められた。散り/″\に並んだ眞青な榛(はん)の木、植ゑつけられた稚い稻田、夏の初めの野菜畠、そして折々汽車の停る小さな停車場には蛙の鳴く音など聞えてゐた。

【引用元】 若山牧水 水郷めぐり


西瓜

2012-03-06 18:12:52

持てあます西瓜(すいか)ひとつやひとり者
 これはわたくしの駄句である。郊外に隠棲している友人が或年の夏小包郵便に托して大きな西瓜を一個(ひとつ)饋(おく)ってくれたことがあった。その仕末(しまつ)にこまって、わたくしはこれを眺めながら覚えず口ずさんだのである。
 わたくしは子供のころ、西瓜や真桑瓜(まくわうり)のたぐいを食(くら)うことを堅く禁じられていたので、大方そのせいでもあるか、成人の後に至っても瓜の匂を好まないため、漬物にしても白瓜(しろうり)はたべるが、胡瓜(きゅうり)は口にしない。西瓜は奈良漬(ならづけ)にした鶏卵(たまご)くらいの大きさのものを味うばかりである。奈良漬にすると瓜特有の青くさい匂がなくなるからである。
 明治十二、三年のころ、虎列拉病(コレラびょう)が両三度にわたって東京の町のすみずみまで蔓衍(まんえん)したことがあった。路頭に斃(たお)れ死するものの少くなかった話を聞いた事がある。しかしわたくしが西瓜や真桑瓜を食うことを禁じられていたのは、恐るべき伝染病のためばかりではない。わたくしの家では瓜類の中(うち)で、かの二種を下賤な食物としてこれを禁じていたのである。魚類では鯖(さば)、青刀魚(さんま)、鰯(いわし)の如き青ざかな、菓子のたぐいでは殊に心太(ところてん)を嫌って子供には食べさせなかった。
 思返すと五十年むかしの話である。むかし目に見馴れた橢円形(だえんけい)の黄いろい真桑瓜は、今日(こんにち)ではいずこの水菓子屋にも殆ど見られないものとなった。黄いろい皮の面(おもて)に薄緑の筋が六、七本ついているその形は、浮世絵師の描いた狂歌の摺物(すりもの)にその痕(あと)を留(とど)めるばかり。西瓜もそのころには暗碧(あんぺき)の皮の黒びかりしたまん円(まる)なもののみで、西洋種の細長いものはあまり見かけなかった。
 これは余談である。わたくしは折角西瓜を人から饋(おく)られて、何故こまったかを語るべきはずであったのだ。わたくしが口にすることを好まなければ、下女に与えてもよいはずである。然るにわたくしの家には、折々下女さえいない時がある。下女がいなければ、隣家へ饋ればよいという人があるかも知れぬが、下女さえさびしさに堪兼(たえか)ねて逃去るような家では、近隣とは交際がない。啻(ただ)にそれのみではない。わたくしは人の趣味と嗜性(しせい)との如何を問わず濫(みだり)に物を饋ることを心なきわざだと考えている。

【引用元】 永井荷風 西瓜


黄色な顔

2012-03-06 18:12:11

 私は私の仲間の話をしようとすると、我知らず失敗談よりも成功談が多くなる。無論それらの話の中では、私は時によっては登場人物の一人になっているし、でなくても私はいつも深い関心を持たせられているのだが、――しかしこれは何も、私の仲間の名声のためにそうするわけではない。なぜなら事実において、私の仲間の努力と、多種多様な才能とは真(しん)に称讃すべきものではあったけれども、それでもなお、彼の思案に余るような場合があったからだ。ただどうかしてそんな場合にぶつかって私の仲間が失敗したような所では、他(た)の者もまた誰一人成功したものはなく、事件は未解決のまま残されるわけである。けれど時々、ちょっとした機会から、彼がどんな風にしてその真相を誤解したかと云うことが、後から発見されたこともある。私はそんな場合を五つ六つ書き止めておいた。そのうち今ここですぐお話出来るものが二つある。そしてそれはそれらのうちでも一番面白いものである。
 シャーロック・ホームズと云う男は、滅多に、身体を鍛えるために運動などをする男ではなかった。が、彼よりはげしい肉体労働に堪(た)え得る人間はほとんどなかったし、また確かに彼は、彼と同体量の拳闘家としては私の会ったことのある人のうちでは最も優れた拳闘家の一人だった。しかし彼は努力の浪費になるような無益な肉体的労働をちゃんと見分けて、何か職業上の目的のある場合でなくては、決して肉体を使うようなことはなかった。だから彼は絶対に疲れると云うことを知らずに、実に精力絶倫であった。その代り彼は不断からいかなる場合に処しても困らないだけの肉体の力を養っていた。食事は常に出来るだけ貧しいものをとり、厳格に過ぎるくらい簡易な生活振りだった。だが、時々、コカインをのむこと以外には、何も悪いことはしなかった。そのコカインも、事件が簡単すぎたり、また新聞がつまらなかったりして退屈でどうにもしようがないような時だけに、気慰めにのむに過ぎないのであった。
 それは早春のある日のことであったが、彼はノンビリした気持ちで私と公園へ散歩に出かけた。楡(にれ)の木は若芽を吹き出しかけ、栗の木の頂きには若葉が出はじめていた。私たちは、特に話さなければならないような話題もなかったので、碌(ろく)に口もきき会わずに二時間近くブラブラした。そして再びべーカー通りに帰って来たのは、もう五時近くであった。

【引用元】 コナンドイル Conan Doyle 三上於莵吉訳 黄色な顔 THE YELLOW FACE


家なき子

2012-03-06 18:10:00

 わたしは捨(す)て子(ご)だった。
 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが泣(な)けばきっと一人の女が来て、優(やさ)しくだきしめてくれたからだ。
 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて窓(まど)ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながら暖(あたた)めてくれた。その歌の節(ふし)も文句(もんく)も、いまに忘(わす)れずにいる。
 わたしが外へ出て雌牛(めうし)の世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしを探(さが)しに来て、麻(あさ)の前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
 ときどきわたしは遊(あそ)び仲間(なかま)とけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、優(やさ)しいことばでなぐさめてくれるか、わたしの肩(かた)をもってくれた。
 それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしても優(やさ)しくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
 ところでそれがひょんな事情(じじょう)から、この女の人が、じつは養(やしな)い親(おや)でしかなかったということがわかったのだ。
 わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代を過(す)ごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
 なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースやえにしだのほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした砂地(すなじ)の高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
 そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、丘(おか)を見捨(みす)てて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした牧草(ぼくそう)もあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。

【引用元】 マロ Malot 楠山正雄訳 家なき子 SANS FAMILLE (上)


いい家庭の又の姿

2012-03-06 18:08:27

 光(てる)ちゃんのお父さん小野宮吉さんは、お亡りになったから、この写真にうつることは出来ません。けれども、鑑子さんは母として音楽家として生活と芸術とのために実に勤勉に一心に毎日を暮し、光ちゃんも益々いい少女として成長している一家の空気は、家庭としてやはり十分いい家庭の一つに数えられる資格をそなえていると思います。今日の私たちの心持のなかには、避けがたい事情で一家の主・良人・父を喪った母と子とがそのめぐり合わせに挫かれず、一層の誠意で互に扶け合いながら人間として健全に成長しようと努めている家庭を、それなりに自然な家庭の姿としてうけいれ声援してゆきたい痛切な社会感情があると思います。

【引用元】 宮本百合子 いい家庭の又の姿


ナビゲーション