いいと思った本を紹介しよう強化期間。
手許に『実践 Web Standards Design -Web標準の基本とCSSレイアウト&Tips-』の絶版バージョンと再刊行バージョンがあるので読み比べていました。書かれている内容はほぼ同じですが、後者は(発行時点での)最新の情報が反映されていています。あと、薄い紙を使われていますがやはり厚いし重いです。
「初学者向けではなく中級者向けに、Web制作の現場での実践に活用できる書籍を」とamazonに紹介があるようにHTML&CSS学習者に評判がいいこの本、私もおすすめします。全くの初心者には向きませんが、それなりにHTML&CSSが分かり始めた人にとっていいのでは。目新しいことが書いてあるわけではないのですが、書籍(情報が読みやすい形でまとまっている)が手許にあるとやはり心強いですしね。
素敵な本なのですが、いくつか気になったことがあり、今回はその一つについて書きたいと思います。
以前、他のCSS関係者(謎)が同じことを書いているのを見たような気がするのですが、どのサイトだったか思い出せないので自分でも書いておきます。
「(X)HTMLはまず文章ありき」(P25〜)で、HTML文章のマークアップ例が載っています。一連の流れが「文章を書く→文章をマークアップする→head要素をマークアップする→html要素をマークアップする→どのDTDに適合しているか検証しそれを最終的に宣言する」になっているのですが、採用するDTDを先に決めないとマークアップできないのではないか……と、絶版バージョンの頃から気になっていました。意図的にマークアップしないと「マークアップ作業が終わったらこのDTDに適合していた」なんてことにはならないと思うのです。
「創作系イラストサイトでフレームを使いたいからFrameset DTDにしよう」、「名前が格好いいからXHTML 1.1 DTDにしよう(?)」などの目的があってDTDが決まり、そしてマークアップできるのではないかと。目的によりDTDが決定し、それを意識しながらマークアップする、と言った方がいいのでしょうか(うまく表現できません…)。あと、私のHTMLエディタはXHTML 1.1なソースを出力する設定になっているのでこれを使うとXHTML 1.1 DTDに適合してしまいます。ソフトウェアにDTDを決められるのも何だかなーと思うわけで。
因に私は「目的→採用するDTDを決める→文章を書く(同時にマークアップすることもある)→文章をマークアップする→その他色々をマークアップする」というふうに作業しています。文章を書く(同時にマークアップすることもある)とはどういうことかというと、外部サイトリンクする時や引用する時は文章を書きながら同時にマークアップすることです。全て文章を書き終わった後で引用したいサイトにアクセスしてコピー&ペーストしてマークアップして――という作業をするのが面倒なので、必要なものは先に用意しておくという。というわけで、この場合はプレーンテキストとマークアップ済みテキストが混在しています。
特別な事情がない限りXHTML 1.1 DTDを採用しているので、新しいサイトを作る時でもどのDTDを採用するかというのもあまり考えないのですけどね。というわけで文章を書く前からDTDは決まっているのでした。【完】
自己解決。多分こちらのサイトだと思います。
たまにはカスオタらしい記事を書く。自作CSSがあまりにも酷い(質的な意味でも量的な意味でも)ので、少しずつ修正している。自分のCSS記述ルールは、以前CSS版ホワイトスミスのスタイルに書いた通りだ(1年半以上経ったので今と考えが変わったところもあるが)。そして、今回主に参考にしたのは以下の2ページとそのリンク先。
分かりやすくまとまっており、自分のCSSを振り返るとき参考にさせていただいた。ただ、「ハイパフォーマンスCSSの記述方法」とあるが、
ここで言う「効率的」というのは、あくまで実行時のパフォーマンスにフォーカスしたものです。運用やメンテナンスなどの管理効率とは相反する場合があるかと思います(「子孫セレクタを使わない」など)。
ハイパフォーマンスCSSの記述方法 -- SimpleIsm
というところに注意したい。JavaScriptなどは表示速度に大きく影響するのは想像できるが、ハイパフォーマンスのCSSはそうでないCSSと比べてどのくらい速くなるのか具体的に知らないので、データがほしいと思った。はてなブックマークに参考として挙げられていたCSSセレクタのパフォーマンスへの影響 -- warikiruによるとあまり変わらないようで……。
しかし0.0001秒でも速い方がいいのでCSSの可読性や管理しやすさを考えて、
あたりは意識してCSSを書くことにする。多分。
あと、edvakfさんのTwitterで気になるツイートを見つけたので引用する。
CSS っていうのが全部バッドノウハウの固まりにしか見えなくなってきた。「これを実現するためにはこうするのが正しい」というのを誰も知らずに、「それっぽく見えるから OK」だけでみんな書いてる気がする。
バッドノウハウというか、CSSは余分なもの・無駄の塊だと思っている。HTML文書がポテトチップス(本体)ならCSSはその袋(包装)、のような。例えが謎すぎるかな。HTML文章(というかコンテンツ)が一番大切で、CSSはシンプルでコンテンツの邪魔をしないデザインであればいいと。制作者CSSがあれば美しいサイトなどになるが、それはあくまでおまけ。私はValidなHTMLを書こうとしているが、CSSはValidでなくても気にならない。流石に特定ブラウザ対策のハックを使うのは抵抗があるが。
コンテンツの可読性の高いデザインは素っ気なくなりがちで――閲覧側としては気にならないのだろうし、元は私のデザインセンスの問題なのだが――、私としてはもう少し可愛く飾りたい!という気持ちがあるので、そこそこ自分好みの可愛い(?)デザインで、そこそこ読み込みが速く、なるべく管理しやすいCSSを書きたいと思っている。何事もバランスが大切という面白みのない結論で終わる。
再利用しやすいCSSの話。あまりに酷い自作CSSの記述量が多い理由の一つは、printやhandheldなど複数メディア用CSSを書いているのと、滅多に使わない要素(samp、valなど)のスタイルも指定しているから。使わないならわざわざ書く必要はないだろうと思われるかもしれないが、一応うちはテンプレサイトなので他の人が私のCSSを使うとき不自由しないように、自分が使わない要素も指定するようにしている。
そうするようになった理由は、CSS着せ替えテンプレートプロジェクトや画像の使用を極力控えてかっこいいCSSデザインをやってみようなど着せ替え企画サイトを見で不便な思いをしたからだ。CSSファイル1枚を変更するだけでデザインを変えられるはいいのだが、「好みのCDPデザインがあった。でもtable要素にスタイルが指定されていない…」、「この画像(中略)大会のデザインが素敵だ。でもstrong要素にスタイルが指定されていない…」のように、サイト全体のデザインは整っているが、細部はあまり手が加えられていないものがあって残念な思いをした。
ないなら自分でスタイル指定しろと言われればそれまでだが、他人に使われること前提で作っているのなら、利用者に手間をかけさせないよう多くの要素にスタイルを指定した方がいいのではないか。なので、なぜ多くのテンプレートがtable要素に対応していないのか? -- Pinky:blog開発雑記にも同意する。…と書きつつ私のCDPデザインもtable要素にスタイルをしていしていないものが多いので人のことを言えない。因に指定していない理由は公式サイトからダウンロードしたCSSにtable要素などのスタイルがなかったから。今後作るテンプレートやリメイクするときはスタイルを指定したい。
CSSの量が多いとそれはそれでメンテナンス性が下がるので、利用者が使いやすい記述について考えている。
単なる宣伝記事で、タイトルが全てです。各ページの四コマ漫画の下に1,800字ほど書かせていただきました。
内容はこのブログに書いていることの簡易まとめなので、ご覧になった方は「またか」と思われるかもしれない。そもそもブログでも毎回同じような主張ばかりしているのだが。ということなので、機会がある方は読んでもらえると嬉しい。よろしく☆彡
「坂取さんの文体は固めなので、やわらかめにお願いします」というアドバイスをいただいたのに、結局あの様(謎)である。ほんわかした可愛い四コマの下に陰鬱なコラムが並んでいるのを見て、
リアルでうわぁぁあぁあぁな気持ちになってしまった。拭いきれない違和感が紙面から漂っているような…。でも、腐女子問題を考えるうえでいつも思っていることだし、主張したいことなので。
「webは不特定多数の人が見ている」ということを理解してサイトを運営してきたつもりだが、まさかこんな機会に恵まれるとは思わず、メールをいただいた時は驚きと嬉しさでいっぱいだった。声をかけてくださった里見さん始めコミケ関係者の方に礼を述べたい。
空いた時間に今冬のコミケカタログを読んでいる。サークルカット以外の部分が読み物としておもしろい。サークルチェックしかしていない人も多いかもしれないが、一度それ以外のページも読んでみては。ついでに私のコラムも読んでください。
この宣伝のためだけにwebに復帰したので(約1週間ぶり…)、すぐオフラインに戻る。RSSリーダーの未読が四桁になっていたり、そして読まずに既読化したり、Twitterのサンタ帽アイコンに圧倒されたり色々そんな感じで気忙しい。
「検索避け批判」批判によくある誤解にいくつかweb拍手メッセージをいただいた。何度も読み返して心の養分にしている。今後記事を書く際に参考にしたい。ありがとうございます!
ツイートに言及しても相手に気づかれないのでは?という意見をいただいたが、私は「私信はメールで伝え、共有したい情報はwebページに載せる」という考えなのであれで構わない。更に言えばご本人の目に入る入らないも関係ない。前半部分は仲村さん宛てに見えるが(実際彼女に向けた部分もある)、「検索避け批判を誤解している人」に対象に書いたのだから。例え特定の誰かに向けた表現があっても、共有した方がいいと思う情報はwebにアップする。特定の相手だけに伝えたい情報はメールを送る。引用が断りを入れずに成立するシステムでよかったと思う。
そういえば、サイト案内にも書いてあるのだった。
私が作成したページについて、共有したほうがいいとあなたが考える情報は各種ソーシャルブックマークやご自分のブログで言及してください。私に確実に伝えたいことがあればメールフォームかweb拍手から直接ご連絡ください。いただいたメッセージはありがたく拝読していますが、基本的に個別の返信はしていません。
サーバのアクセスログを一定期間保存していますが、あまり解析していません。よほどアクセスがない限りリンク・言及されても気づかない可能性が高いです。
メールフォームやweb拍手のメッセージは必ずチェックしている。たまに各種ソーシャルブックマークも見ている。アクセス解析は1箇所から20人くらい飛んできたら気づくかもしれない。本当はリンク元も把握した方がいいのだろうが、手間がかかるので。確実な連絡方法を提示しているからこれでよしとする。
テンプレートの更新が止まっているので作業を再開したい。
私は腐女子マナーの強制を批判する記事を書いている。たまに外部サービスを使って検索避けや無断リンクの情報を集めることもある。
そして、私が検索避けを批判するように、検索避け批判を批判する方もいる。私のような検索避け正当化・強制批判者に対する決まった名前はないが*1、「検索避け反対派」と呼ばれることがある。「腐女子たちが身内だけで楽しく(?)やっているところに、ずかずか土足で踏み込んで『正義』を振りかざす人」、例えば正義厨やモヒカンなどのようなイメージで語られることもある。
検索避けをマナーと称して他人に強制する腐女子――つまり検索避け推奨・賛成・支持派――に疑問を投げかける存在だから、単純に反転させて「検索避け反対派」と認識するのはかなりまずい。何故なら、そこで言われる「検索避け反対派」は検索避け自体を否定しているわけではないからだ。
この記事を書こうと思ったきっかけは、「検索避け」(Twitter検索)や「検索避け」(ふぁぼったー検索)で見つけたツイート。仲村さんのTwitter(ふぁぼったー)2009年9月8日〜2009年9月17日に腐女子・検索避け関係のツイートがあり興味深く拝見していた。しかし、私と仲村さんはかなり近い考えを持っている(と私は思っている)が、「検索避け反対派」を誤解しているように思えたので、検索避け批判批判によくある誤解の弁明も兼ねて書こうと思う。
「検索除けしろ!勝手にリンクすんな!」と「検索よけしなくていいだろ!リンクするのは自由!」と別れてで戦ったらいかんよな。この二つの主張はいずれも「全体に適用しようとする」派だから、戦うなら「そんなん個々で対応すればいいじょない」派とだなあ。
「検索避けしなくていいだろ!」は、してもしなくてもいいという意味なので、「そんなん個々で対応すればいいじゃない派」に当て嵌まるのでは。もし「検索避けすべきでない!」という主張であれば全体に適応しようとしていることになるだろうが。そもそも検索避け推奨派は日々領土(謎)を拡大しようとしているが、検索避け批判者は検索避けをなくそうとしているのではない。
検索避け反対派の人は、世界中でただ独りだけになった推進派さえも糾弾しそうで怖い。それは「みんなで検索避けしないとだめでしょ!」の単語を変えただけで文脈は同じことなんだよなー。戦うべきは「検索避け」ではなく、「みんなで~しないとだめでしょ!」だと思うんだが、どう伝えようこの想い。
よー知らんけど、検索避けによる抑圧からの解放を謳う方々が捕捉範囲内で活発に動いているのを最近たまに見かける。中には抑圧から解放するためには検索除けすべきではない!という抑圧を生んでる人もいるから頭が痛い。だからああいう記事を書いてみたんだけど、どうすれば読んでもらえるだろう。
それなりに無断リンク・検索避けの記事やブックマークコメントを読んできたつもりだが、世界中でただ独りだけになった推進派さえも糾弾しそう
、あるいは抑圧から解放するためには検索除けすべきではない!という抑圧を生んでる人
は見たことがない。これを読んで、仲村さんは「検索避け反対派」と検索避け正当化批判者・検索避け強制批判者を区別していないのではないかと思った。
検索避け反対者、あるいは検索避け批判者と書くといかにも検索避け行為を批判しているようだが、私の観測範囲にいる二次創作サイト検索避け批判者は「検索避けするもしないも管理人の自由。マナー・ルールを出して正当化するな。『違法だから』と脅して強制するな」というスタンスの人が殆どだ。そして私もその一人だ。「検索避けの必要はない」と書くこともあるが、あくまでそれは検索避け正当化・強制反対を表す延長線上にあるもので、検索避け自体を批判しているのではない。仲村さんが見た検索避けによる抑圧からの解放を謳う方々が捕捉範囲内で活発に動いている
状態は、検索避け正当化・強制反対を表す延長線上にある発言なのではないだろうか。
仮に「検索避けすべきでない」と強く主張をする人がいれば、私はかれを批判する。私がいつも批判しているのは意味のない行為の正当化・強制だからだ。「検索避けは悪」、「検索避けはマナーに反する」と主張したいのではないし、検索避けそのものをなくそうとしているのでもないのだから。私以外の検索避け批判者がどう思うかは分からないが、同意してくれる人は多いのではないかと思っている。
検索避け批判サイトは二次創作+オンラインブックマーク総括が一番有名だと思う。オンラインブックマーク・ついでにロボット検索に対する偏見をとり壊し、過敏すぎる反応を和らげること
を目的にしたサイトだ。多くの検索避け批判者はこのサイトと同じく「その考え本当に正しいの?」、「みんながやってるから従わせるのってどうよ?」、「脅すのってどうよ?」と検索避け正当化・強制批判をしているだけだ。検索避け批判者が訴えているのは、検索避けする・しない判断を管理人に任せる自由である。「私は自分で考えて検索避けを施すことにした」、「mixiやTwitterのプライベートモードを使っている」と言う人がいても、検索避け正当化・強制批判者は彼女を批判しないだろう。実際私の二次創作サイトも検索避けしているし。自身が検索避けすることと、検索避け正当化・強制批判をすることは矛盾しない。
戦うべきは「検索避け」ではなく、「みんなで~しないとだめでしょ!」だと思う
にはとても共感する。検索避け批判者の多くが批判しているのはまさに「○○すべき」という考えなので、気持ちは十分伝わっていると思う。少なくとも、私と仲村さんが目指しているものは同じで見ている角度が少し違うだけだと感じた。
ここから話が変わる。
これも何度か書いたが、「腐女子ルールを守らないこと」、「腐女子ルールに異論を唱えること」は腐女子界隈の禁忌になっている。腐女子ルールを疑うことすら許されない雰囲気がある。私がオタクカテゴリーに書いていることを、検索避けが普及したジャンルの二次創作サイトでも書けばどうなるかは容易に想像できる。
友人・知人を失う。ジャンル中で孤立する。何故みんなと同じことをしないのかという批判メールが来る。閉鎖しろ、消えろと中傷メールも来るだろう。厳しいジャンルだと隠れないという選択をしただけで2chや関連サイトに晒されたり、まとめサイトを作られたりする。ジャンルを移動しても「ジャンルを脅かした厨」というレッテルはずっと貼りつけられたまま剥がれることはない。閉鎖してやっと「危険人物が消えてよかった」と周囲の人間は胸を撫で下ろす。悪者にされた人の気持ちを想像するとやりきれない。
私はこの状態をおかしいと思っているのだが、「ルールを守らない方が悪い」、「ジャンルを守るためだから仕方ない」で済まされるのが現状だ。Twitter検索の「検索避け」結果を見ていると「検索避けしてないサイトに匿名で注意してあげた方がいいのか」、「検索避けしていないサイトは滅びるべき」、「ナマ出身のせいか、二次でも検索避けしてないサイトはイラつく」ということも書かれてることもある。
検索避けするのが正しい・正しくないは答えが出ないと思う。検索避けすべき・すべきでないは、管理者が決めることだと思う。検索避け強制批判をしていると反論メッセージを頂くこともあるのだが、それらは感情的なものが多かった。例えば以下の通り。
噛み合っていない。実際はもっときつく汚い言葉が使われていたので、よほど相手は不快だったのだろう。
「検索避けするもしないも個人の自由。マナー・ルールを出して正当化するな。『違法だから』と脅して強制するな」と書いているのに、文章の最初と最後だけ見て「検索避けするもしないも個人の自由。マナー・ルールを出して正当化するな。『違法だから』と脅して強制するな」と読む人がいる。「検索避けするな」とは一度も言っていないのにそう読まれてしまう。
腐女子界隈に限らず実際にいる。相手を否定しない言葉を選びつつ、穏やかにやんわりと話し、理不尽であろうが何であろうがとりあえず相手の言葉と感情を受け止めながらレスポンスしても、「肯定しなければ、即自分を否定・攻撃している」と思い込む人は。
「別に隠れなくていい」、「検索避けも好きにすればいい」というふうに腐ルールを穏やかに批判しても、強い反発をするのは、主張側に「腐女子は隠れるのが正しい・そうすべき」という意識があるからなのでは。そして、正しいゆえに相手に理由を説明しなくても、腐女子に自重することを強制したり罵倒できるのではないか、そう思えてならない。
「頭が悪い、あるいは文章が下手だという自覚がある人は簡潔な常体で書け」という主張を読んでなるほどと思ったので変えてみた。少しは読みやすくなっただろうか。でも自分のアホさが際立つようで気恥ずかしいので敬体に戻すかもしれない。
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