【転載】教えて君は何故嫌われるのか

初めに

一般的に、教えて君と云うのは、物凄く嫌われます(音声環境だと「おしえてきみ」と読まれる事がありますが、正しくは「おしえてくん」です)。教えて君とは、分らない事があるとすぐ質問をして、自分で調べようとは一切しない人の事です。

教えて君の定義

教えて君を詳しく分類すると、以下の様になります。

調べずに質問をする人

調べずに質問をする人は、質問をしようとする意欲はありますが、理解しようと思う意欲がない為、教えても意味はありません。その様な形で他人から教えて貰っても、覚えられる筈がありません。その様な質問に回答する価値は、殆どと言って良いほどありません。

理解しようと思う意欲があれば、先ず検索エンジンやサイトを見て、勉強しようと思う筈です。それを面倒だと思う人に、教える必要性はありません。教えるだけ無駄なのです。全く何も分らない人に教えるのが先生の役割ですが、知ろうとする意欲がない人に教えても、先生の無駄働きに終るだけなのです。

タイトルに質問の内容を書かない人

「ノートン先生を使うとフリーズします」「Outlook Expressでテキストメールを送るには」等、内容が分るタイトルにすれば良いのですが、「質問です」「教えて下さい」と云うタイトルが非常に多い。

これは見る気すらなくします。メールでこの様なタイトルのメールを送るものなら、それは間違いなくゴミ箱行きです。質問用の掲示板では、タイトルが表示されて、ポイントすると中身が表示される形式である事が多い。

詰り、見てくれる様なタイトルを付けるか如何かで、回答が返ってくるか如何かが決ると言っても、過言ではありません。答える以前に読む気をなくさせて如何すると云う問題が存在するのです。

教えても御礼を言わない人

結構多いのがこれです。教えて貰って当然の様に考えている人が後を絶えず、今も繁殖し続けている様です。

学校の先生とは違って、教える側はただ働きです。無料で相手が体と心と時間磨り減らして答えているのだから、自分も必ず誠意を込めて御礼を言う。それが出来ないのは、小学生以下の問題です。煽りや嘲笑ではなく、事実として、小学生以下の問題であります。最近は若者の礼儀がなってない云々が問題となっていますが、今時の小学生でも何かを教えられれば御礼くらいは言います。それがインターネットとなると御礼を言わなくなるのです。仏教では、ものを教えた側が「教える勉強をさせて貰った」等の理由で御礼を言うのですが、無論インターネット利用者の全員が仏教の信者であるわけではありません。

教えて貰ったので、さっさと次の作業へ移る。それがどれだけ相手に失礼か、考えずとも分る筈です。これが、初心者が嫌われてしまう大きな理由です。

年齢を理由に言いわけする人

「小学生だから」「中学生だから」等の言いわけをする人が多い。しかし、それは、卑屈な言いわけです。そんなものは免罪符には成りません。自分が餓鬼である事を自ら宣言して如何する気でしょうか。「子供だから理解力に欠ける」――「ああ、成程。だったら、最初から来なくて良い」……と、嫌みはこれくらいにして。

インターネットでは、子供もおとなも同じです。礼儀も碌に知らない人が、インターネット等利用してはいけません。する資格がないのです。仮令それが小学生だろうと、礼儀を知らないのであれば蹴り出されて当然です。インターネットでは本当の年齢等知り様がないし、インターネットは年齢や性別と云う枠が存在する媒体では決してないからです。礼儀が分る小学生なら私も歓迎します。しかし、礼儀が分らないなら、分るまでインターネットを利用するのは禁物です。

子供が小学生である事は仕方ありません。始めたばかりの人が初心者である事も当り前です。言わずとも当り前で済ませられる事を理由にしても、言いわけにはなりません。

教えて君から脱する為の対策

これらの事をこなせば、多少失礼な点があっても、完全無視と云う事はないと思います。

転載元リソース情報

この文書のURI
http://web.xii.jp/iec/note/teach
作成日
不明
更新日
不明

2008年5月14日