(今はあまり見かけない)W3Cの権威に対する反発

非常に古い話題だが、W3Cネタをもう一つ。

ウェブ上でかつては頻繁に発生し、今でもたまに行われる不毛な論争の一つに「HTMLを書くなら仕様に準拠せよ」「そんなことせずともブラウザで表示される。W3Cの思想を押し付けるな。」という、いわゆる「W3C論争」ある。「押し付けるな」と言う側には「押し付けはよくない」という前提がある。このような発想はどこから来るのか。(無爲徒食日記の眞名垣さんも同じようなことを言っていた気がする。)

押し付けるとは、つまりある人や集団が別の人や集団に不可坑の力を及ぼすことだ。このとき、力を及ぼす側には「権力」があるという。ただし、権力が自然に発生することはない。私が無関係な第三者に「今日から私の下で働け」と言ったところで、無視されるか反発されるか頭のおかしい人と思われるだけだ。権力が成立するには何らかの社会的コンテクストが必要になる。上司と部下、先生と生徒など。このようなミクロな関係では、例えば上司が部下に命令をしても部下がそれを「押し付けだ」と言ったりはしない。無論、上司は部下に命令を押し付けているのである。

非常にマクロな関係においては、上に述べたような社会的コンテクストが存在しない代わりに、正統性がその役目を果たす。国家であれば、国家が昔から今まで存続していることが、その正統性の源泉となる(民主国家であれば民主主義がこれに加わる)。国民は国家に権威があると信じているから国家が定めた法律に従う。施行されている法律の合理性を疑うこと人はいても、「法律は国家が国民に押し付けたものだから従わなくてもよい」などと主張する人はいない。

ただし現在の日本の場合、人々は国家に正統性があるとは思っていない。日本人は権力を嫌う。全員で合意する(妥協する)という日本人の特技が正当性を根拠にした権力発動の代わりを果たしてきた。しかし、国家のように大規模な集団では全員が集まって合意することができない。したがって、国家に日本的正統性はない。

W3Cに対して権威主義的だ、押し付けだと反発する人々は、このような日本の伝統的理念モデル、全員の合意がW3Cにはないために、W3Cに正統性があるとは思えない。だからW3Cが権力を発することに強烈な嫌悪を覚える。そうして「W3Cが勝手に決めたものを押し付けるな」と言うのだ。

現在、W3Cの定めた仕様に従おうとする人が多いのは、そうすることが合理的だからだろう(W3Cの正当性を理由にするのは少数派だ)。文書構造をHTML で表し見た目はCSSで決めることが、ウェブサイトの構築とメンテナンスにとって非常に有効だということを、多くの人が知るようになった。特に、主要なブラウザがCSSをほぼサポートするようになったのは大きい。物理マークアップが氾濫していたころに比べて、最初に書いたW3C論争が減ったのも納得できる。標準HTML+CSSの利益がさらに多くの人に享受されるようになってほしいと思う。

転載元リソース情報

URI
http://elastic965.80code.com/blog/2006/11/w3c
作成日
2006年11月06日

2008年5月19日

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