論旨に乱れがなくても「この論理は間違っている」と思ったとき、大抵の場合その理論の前提と自分の考えの前提が異なっている。日本語に関してであれば、それは「正しい日本語の『正しい』が何を意味しているのか」だ。この前提を無視すれば議論は成り立たない。(その典型例がリンクフリーに関する論争だと思う。「リンクは自由かそうでないか」ではなく「リンクは誰のものなのか」を議論する必要があった。)
「正しさ」は相対的だ。正しさの基準が違へばお互ひに相手の論は誤りであると看做される訣ですから、絶対的な正しさと云ふのは無い
(正字正かなの正)。だから、「正しい」が何を意味しているのかをまず明らかにしないといけない。
日本語の正しさを歴史と伝統に求めようと考えたとき、歴史や伝統の概念の定義を避けることはできない。
言葉は変化し続ける。長い日本の歴史の中で、日本語が確定したことなど一度もない。歴史ある言葉が正しいのであれば、いつが基準になりその理由が何なのかを教えてもらいたい。
2008年5月19日
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