正しい日本語の証明 (2)

無爲徒食日記 二千六年七月三番目に関して。

ら抜き言葉について。助動詞「れる」に接続する五段活用動詞は、別に存在する可能動詞を使うことができる(渡す→渡せる、言う→言える)。可能動詞が存在するおかげで、「れる」が使われたとき、その用法は受身・尊敬・自発のいずれかだと分かる。

一段活用動詞に対応する可能動詞は少ない。そのため「られる」が使われても、その用法が可能なのか受身・尊敬・自発なのかは区別できない。そこで、可能の場合にはら抜きにしてしまう(着る→着れる、食べる→食べれる)。仮に、可能はら抜き言葉だけで表現するようになれば、「ら抜きの(ら)れる」が可能用法で、そうでない「られる」は受身・尊敬・自発だと区別できる。だから、ら抜き言葉は合理的だと言える。

「形容詞+です」について。敬体の文章で形容詞を終止形で止めてしまうと、不自然になることがある。例えば企業が顧客に送るパンフレットに「Cコースは料金が安い」と書いてあったら失礼であり、「Cコースは低価格です」「Cコースは料金が安くリーズナブルです」などと表現を変えないといけない。だ・である調の文章では形容詞を終止形で言い切ることができるのに、です・ます調の文章では形容詞の言い換えを考えなければいけないことがある。もし首尾一貫している日本語が正しいのであれば、です・ます調の存在はそれに当らない。

正しい日本語の証明で言いたかったのは、ら抜き言葉が合理的だということでも、「形容詞+です」を認めるべきだということでもなく、ら抜き言葉が間違いであるのならそれが間違いであり一段動詞の未然形に「られる」をつなげるのが正しいとする理由をどこに求めればよいのか、ということだ。歴史と伝統?国語学者?文部科学省?新聞?岩波書店?多数決?理由無しにどうしてそれが正しいと言えようか。

福田恒存の本をもう一度読んでみようと思ったら、なくなっていた。orz

転載元リソース情報

URI
http://elastic965.80code.com/blog/2006/07/validity2
作成日
2006年07月24日

2008年5月19日

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