「れる」「られる」の用法に受身・可能の意味が混在しているせいで、「この魚はまずくて、あまり食べられない」という表現が「この魚はあまり食べることができない」という意味なのか「この魚はまずくて、(人に)あまり食べられることがない」という意味なのかがはっきりしない。書かれたものであれば前後の文章を読み直してその文を咀嚼することもできるが、会話であればそのようなことをする前に次の会話が続き、曖昧な文は発言者の意図がはっきり伝わらないまま残されてしまう。また、書き言葉でも「少子化は日本社会に深刻な影響をもたらすと思われる」が「そう(私にとって)思われる」(自発)なのか「そう(多くの人に)思われている」(受身)なのかぼやけてしまう。受身であればその文はただの事実を述べただけだが、自発であればなぜそう思うのかを説明する必要が生じる。英語圏の人は「レポートなどの客観的文章に I や We を使ってはいけない。受身を使え。」と指導を受けるらしい。おそらく日本語の「~と思われる」「~と考えられる」は「It is thought that ~」の直訳なのだろう。だとしたら上の文の「れる」受身なのだが、「れる」「られる」に複数の意味があるため日本語ではどちらにも解釈できてしまう。責任の所在は曖昧だ。だから「一つの單語が表す意味が多いから非合理的だ」或は、「一つの單語が表す意味が少ければ合理的だ」
(無為徒食日記二千六年七月二十四日三番目)と思う。
真名垣さんからの指摘を受けて、ら抜き言葉は「動詞+「ら」の抜けた助動詞られる」と解するよりも、可能動詞として認めた方が都合がいいかもしれないと思うようになった。以前、アルバイトで中学生に国語を教えていたときに「『頼れる』はら抜き言葉じゃないの?『頼られる』が正しい日本語じゃないの?」と訊かれ、答えに窮してしまった。「『頼れる』という動詞があるんだよ」「そんじゃあ『食べれる』という動詞はないの?」「それは助動詞『られる』の『ら』が抜けたら抜き言葉なんだよ」「なんで『頼れる』はよくて『食べれる』は間違いなの?」「えっと、それは『頼られる』の『ら』がラ行五段活用動詞『頼る』の活用語尾で…、ごめん来週までに調べてくるよ(逃げ)」。一段活用の動詞にも可能動詞があった方が、すっきりしないだろうか。
2008年5月19日
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