「形容詞+です」を認める

真名垣さんによれば、敬体の文章で形容詞を述語として使うときに「形容詞+です」を避けた表現を考えなければいけないのは、日本語の問題ではなくTPOの問題であるそうだ。

敬体の文でも形容詞を終止形で止めるのが普通であり、それが不自然になる状況で適切な表現を考えるというのなら、その説明は成立する。しかし実際には、敬体の文で形容詞を終止形で止めると不自然になる場合が殆どだ。企業が顧客に送るパンフレットの例はその一つであり、そういう状況だから形容詞の表現に困っているのではない。つまり、敬体の文章にすると、「形容詞+です」が正しい日本語として存在していないためにそれに代わる表現を探さなければいけなくなる。一方、常態の文で形容詞の止め方に困ることはない。敬体の文章で形容詞を述語として使うたびに難儀しなければいけないのであれば、最初から敬体の文章を書くことを諦めてしまうしかない。(常態が日本語の表現として文字通り標準形であるのに対し、敬体がイレギュラーな存在であるからこそ、形容詞の使い方に困るのかもしれない。)

もちろん常態の文でも敬体の文でも状況によって文体は変わるけれど、それは正しい日本語の枠内での話しだ。公文書がひらがなの単語ばかりでは情けないから格式ばった言葉を使うだろうし、小学生向けのテキストであれば小学生の語彙の範囲内から言葉を選ぶだろう。しかし正しい日本語の範囲外にある「安いです」の言い換えを考えなければならないのは、別の問題だ。正しくないと認識されているものを正しいと認識されているものに直すことと、状況に応じて文体が変わることは違う。正しい日本語はある場面では不適切でもある場面では適切になりうるが、正しくない(と考えられている)日本語はいかなる状況でも正しくない。(今日コンビニで弁当を買ったときに「あたためなさいますか」と訊かれたのだが、これが状況によっては適切な日本語になることはないだろう。)

転載元リソース情報

URI
http://elastic965.80code.com/blog/2006/07/adj_desu
作成日
2006年07月26日

2008年5月19日

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