とりあえず終盤。ギルガメッシュの「間に合った!」で感動。
あとはエクスデスのみかー。なんか裏ダンあるっぽいので楽しみ。
ツインタニアを倒して入手していたのだが、SFC版では結構レアの部類だったはずなのだが、入手率上げてあるんかな?
てな感じでエクスデス前で謎の新ジョブ1個以外のジョブをマスターしていざラストバトル。ちょうごう「祝福のキッス(せいすい+おとめのキッス)」と「ぶんしん」で楽勝かと思いきや、1ターンでその効果は切れるっぽいのな。んー、自力で倒すのは面倒だしなあ。LVも30くらいしかないのでHP低いしなー。んー。
とりあえず青魔法「くろのしょうげき」+「LV4グラビガ」あたりを試してみるか。
↑むりぽ。よく考えたら効くのはLV2オールドだっけ?憶えてねえ。
仕方がないのでブラッドソード+みだれうち×2、まほうけんドレイン+みだれうち×2でシコシコ抹殺。なんだかなあ。ちなみにティンカーベルはなかなか強かった。死者はゼロ。
んー。戦い終わってもまだ最初からやれるだけのモチベーションを保てる、これがFFV。
どう見てもミンティアの方がお買得なのだが、女子のアクセ屋やら世間を見た限りではフリスク専用ケースを売っていたりして、でもミンティアケースなんてのは売ってなくて。フリスクも意外と売れているっぽい。フリスクの売価の半分はデザインで出来ているのかなーと思った。持った感じもオシャレだしな。iPodと同じ臭いを感じる。うまく説明できないけど。
ミンティアのベリーミント味さえ出ればオレもフリスク卒業できるんだがなあ。
SPA!を立ち読みしたところ、そんな内容の記事が載ってた。個人規模のコミュニティサイト、まとめサイト、ショップサイト等が高値で売れるんだとか。もちろん、買い手がつく程の「育成」が必要だし当然「まっとうな」アクセス数というものが必要になる。
オレたち(ていうかオレ)がHTMLやらCSSやらブラウザやらの生きる上で「ほぼ」まったくと言って良いほど役に立たず激無駄な話題で貴重な生命維持時間をいたずらに浪費している裏側で「賢き者」は確実に「黄金色の人生」への階段を、いや、エレベーターを酒をくらい寿司と女をつまみながら上昇していたのだ。
オレは本業の傍らでやるもう一つの仕事というやつが好きだ。大好きだ。生きる為に「本業」を行い、遊ぶ為に「副業」をやるというのが大好きだ。なんというか「人生を謳歌している」ようだから。こんなことを書くとミステリマニア諸君は「やればよかろーもん」とか言い出すに違いない。あのな、DTPオペやってるモンがンなことやったら死ぬぞ。しかし、何かしらやらないといけないとこまで来ているのも事実。つまり、生きるだけでいっぱいいっぱいの収入しかない。いや、遊んだり仕送りしたりしなければ普通に生活はできると思うけど、普通に生活する為に生きるのって楽しいのかな。楽しい気はしない。
前置きが長くなりましたが、というわけで個人的に小規模な制作事業を立ち上げようかと思っています。印刷物データ制作からウェブサイト制作(基本的にはフレームサイトを)など。何からやりゃあいいのかわからないが、とにかく先ずは宣言することが大切だと思ってる。
このほど現役から退くと報じられたフィギュアスケート女子で世界選手権を2度制したイリーナ・スルツカヤ(27=ロシア)が7日、「まだ終わっていない」と話し、引退説を否定した。アイスショーに出演するために滞在している米国で電話取材に応じた。
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
病気のアレで引退なのかなーと思っておったけど、うん、これは良かった。女王復活祈願( ´人`)
擬似フレームという呼称は好きではないんだけど、まあその方が君らも分かりやすいと思うので。要はfixedプロパティにてoverflow(はみ出す部分)をスクロール表示している箇所、と思ってもらえればいいです。
バグというバグではないと思うけど、一応メモ。バグ報告しろって?んな面倒なこと普通のユーザーはやりませんって。
ホイールをクリックすると○の中に●とか▼があるマークが出ますよね。マウスの軌跡でスクロールを操作できるやつなのだけど、会社のマスィンのオレマウスはホイールがぶっ壊れててコロコロ操作は出来ない仕様となっており、故にこのホイールクリック技(これは生きてる)を用いて閲覧しよるんですが、まあこれがfixedされた部分では効かねーなーと。
というかDTP屋のマウスの寿命はとても短い。
というわけで行ってきました。所謂レポート的な記事はあまり得意ではないけどケジメておきます。まとめはまこちの記事が非常に参考になるので関係者は目を通しておくと良いとおもいます。
はじめにことわっておきます、ごめんなさい。今回は100%D≒SIRE目的でした。もちろんJILSだって好きとかを超越した自分の中では別格な存在に違いないんですが、それ以上に、遙かそれ以上に、D≒SIREは、D≒SIREの詩は、オレという存在を構成する精神構造の一部であり、魂であり、心なのです。あえて詳しくは書かないけど、壊れ果てて朽ち果てそうだった若き日のオレを支えてくれたというか、救われたというか。遠く離れたある二人の人間をギリギリのところでつないでくれたというか。まあよくある話かもしれませんが、とにかくそういう存在。
某年某月某日、福岡のあの地下室という箱で志半ばにして幕を閉じた(とオレは感じた)あの日から幾数年、2006年11月12日。レーベル設立から10年と1日というこの日にD≒SIREが一夜だけの復活を遂げました。そういう日でした。「あの刻」から止まっていた時間がようやく動き出した、そんな感覚。メンバーは違ったけど、(D≒SIRE2期の頃かな?)、CDでしか聴けなかった彼らの奏でが、ジャケでしか見ることが出来なかった彼ら自身が目と鼻の先に確かに居ることが嬉しくて、嬉しくて、オレは終始号泣していましたよ。もうむしろ、想刻に合わせてスクリーン、というか幕に映し出されるメンバー紹介の時点で心臓の鼓動は止まらんばかりの勢いで、まだ開幕すらしていないのに涙がこぼれそうで、「D≒SIRE」のロゴが表示された瞬間、オレはもうダメでした。今まで生きてきた中で一番ダメでした。幕が開いたらもっとダメでした。大の大人が顔面クシャクシャにして泣きながら汗たらしながら飛び跳ねながら大声で歌うというこの異形じみた形相を想像してごらんなさい。どうだ、うらやましいだろう!
幸也は「昔の詩も好きだし今のも好きだ」というようなことを言っていた。それはオレも同様で、あの場にいた人たちもきっとそうで、それでもオレはやっぱりD≒SIREが大好きで、きっと幸也もそうであって、あの場にいた人たちもきっと。10年前、熊本という田舎町のタワーレコードの片隅に申し訳なさそうに設置されていたインディーズコーナーのラックにあったD≒SIREのCDを、本当に何気なく手に取ったあの日から今日の涙は約束されていたのだろう。もし、そのとき隣にあったバサラのCDを買っていたらどうなっていたのだろう。選んだのは「LUNA SEAと同じ書体だったから」というトンデモない購入動機、初めて再生した時の衝撃、生まれて初めて行ったライブが生まれて初めて好きになったバンドのライブで、でもそれは解散ツアーという悲しい最期のライブで。
まあそんなわけで、ここまで書くのに丸2日経ってしまったようなので、まだ終わっていない仕事を片して眠りにつこうと思います。
オッパニストはとりあえず見ておけってことでー。
しかしそのなんだ、その隠された(というかはみ出した)薄布の下がどうなっているのかが晒された今となっては、まあ「ふ~ん」みたいな感じではあるんだけど。顔は、まあ好みの分かれるところではあるので脳内で適当にMEGUMIあたりに変換すれば、こう、なんつーの、グッとくるものがあるんじゃあなかろうかとか。
それにしてもネット動画サービスの大半は画面縮小が出来ないので職場ではなかなか見ることができないので何とかならんものか。あ、仕事中に見るなって?
松坂牛。霜「降り」と空「振り」をかけて。
まあ無理があるな。
「Web制作ネタのサイト」というものは非常に謎である。Web制作、これ自体は別に謎でもナンでもない。例えば、Web制作ネタとして「ブログとフレームの組み合わせが最強だ!」とか「CSSはココがスゴイ!」とか「最近のHTMLは云々」「アクセシビリティが云々」「やれユーザビリティだ」「XMLだ」「タグだ」「擬似要素だ」なんたらかんたらと、その技術に関して惜しげもなく時間をつぎこみ、「結局こいつは何をやりたいのだ?」とかたまに思うサイトがある。とてもいっぱいある。
OKわかった、では「ブログとフレームの組み合わせが最強だ」として、その記事を書いてるこの人はその自分的に最強なそのツールを使ってどんな有益な情報提供を行っているのか、と思って見てみればまともな記事はなにもなく、データ的に何の価値もないようなゲームの感想、ともいえない程の文章とかエロい動画へのリンクだとか、ニュースサイトを見て適当にチャラけた意見じみたようなものを書きなぐっていたり、見てみれば「Web制作」カテゴリだけが肥大していっており、じゃあ何か、このサイトはウェッブサイト制作系のサイトなのかとか言われれば、そんなに大したことは書かれておらず、何に置いても「中途半端」という四字熟語の似合う、そういうサイトがある。ような気がする。
見ての通り、あなたが今お読みになっているこのサイトは、まあ見ての通りのサイトなわけだが、もうお気づきかもしれない。実はオレはWeb制作への情熱なんてのはとうの昔に冷めきっている。人は知識を得れば得る程、新しい知識を欲するものだ。そして己の知識容量がある程度までいくと、今度はそれを用いて何かを行おうとするのが生物というものだ。自分の目でしっかりと前を見つめている人ならば、そう、それがWeb制作技術だとすれば、そっち方面の仕事についたり、またそのことについて自分のウェブサイトを開設して解説してたりするのだろう。もちろん、まだまだ詰め込めることのできる知識容量を確保していて。
しかし、オレはある時から「もう無理」と思った。これ以上の知識の吸収は無意味だと。かといって、知っている知識を用いて、そのこと(web制作)について、あれこれ書いた所で一体何の面白みがあるのだろうか。誰かが喜ぶのか。誰かの為になっているのか。Web制作と関係ないが、例えば「ダイアログのOK・キャンセルボタンが近すぎるのはよろしくない」という話題があったとする。なるほど、たしかにそれはよろしくない。Googleチャットとかだと、うっかりメール画面をリロードしてしまうとチャットウインドウをとじますか?というダイアログが出、そこにキャンセルボタンは「無い」。つまり、閉じるしか選択肢はない。そういうのはさらによろしくない、というような事を自分の意見として書こうと思えば書ける。だが「だから何なのだ」というのが最近のオレの思考。もう、何に関しても「だから何、それが何」だ。正直、心が病み始めているのを実感している。こんなことを書きながら、この文章を読む人は「だから何」と思うだろう、と思いながら書いている。
少なくとも、オレは中途半端なWeb技術を話題としたサイトなんて作るはずではなかった。確か、ロマサガとかSTGとか、自分の好きなもののこと誰かの役に立つだろう、読んでくれた人は楽しめるだろう(というのは思い込みなのだろうが)、とかそういう理由で「ホームページ」を作り始めたはずだった。しかし、知識を得る程に、なぜかサイト内容は「そっち方向」にシフトしていき、結果残ったのはこの自分でも何だかよくわからない退廃的な雑文の山。
オレの周囲にはいまだにHTMLをプログラムとかと勘違いしている人もいるが、HTMLなんてその仕組みは教科書やノートの文字に蛍光ペンでアンダーラインを引くことと大差はないものだ。極端なハナシ、色を選ぶという行為がスタイル指定に変わり、ラインを引く行為がタグ付けに変わっただけのもの。WebでやってるからWebならではのものに見えるかもしれないが、現実には「書き取ったノートにアンダーラインを引く行為」について熱く語り合う人々なんて存在しないのである。(※いたらゴメン)
先ほど知識云々のことについて書いたが、知識人が増す毎にさらに上を求め、全体的な知識力もゆるやかに上昇していく。例えば数年前のCSSサイトと現在のCSSサイトを見比べれば一目瞭然。「CSSだけでデザインしてますよ、すごいでしょ」なんて時代はとうに過ぎ去ったのである。むしろ、そんなもん知っててあたりまえだ位の勢いだ。そして、当時それらを啓蒙していた(と思ってる)オレは、そんな時代・世界を望んでいたはずだ。しかし、実際にそうなってくると途端に「つまんねー」となってしまう。某アニメのラストあたりで「自由はつまらない、ならば不自由を与えよう」というようなことを言っていたが、それと似ていると思う。一言で言えば「ワガママ」というやつなのかもしれない。飽きっぽいだけかもしれない。
情報発信の為の情報発信。きっとそれは新たな情報発信の為の情報発信を産み出し、気が付いたらオレは目的を見失い、そこから抜け出せなくなっていたのだと思う。
さて、表題の「Web制作はあなたに何かをもたらしましたか」についていい加減まとめようと思う。2流3流の我々─いや、「オレ」としておこうか─がソレによってもたされたものとは「負の時間」だ。昨今のIT技術はめまぐるしい速さで進化していて、従来の人間の生活スタイルも同時に大きく変化してきたのはこれまでにも何度か書いてきた。わからないことがあれば、辞書を引くのではなく先ずググる。手紙を出そうと思ったらメールを書く。楽しい時間を過ごす為に、お気に入りサイトをまわる。時には自分で記事も書く。生活スタイルにパソコンの使用時間というものが付加された為にそれに伴う何らかの「データ」を使うようになる。例えばゲームだったり。音楽だったり。これらの時間に関して四の五の言うつもりはない。むしろ、万物霊長のヒトが生み出した知識の共有の箱と言えるウェブを使いこなし無駄な時間の浪費は、要所要所では短縮されているのは明らか。
そして、そこでとり行う「Web制作のはなし」。Web制作、もっと簡単に自サイト制作と言ってもいい。それが「自分の趣味です」と言える人だっているかもしれない。CSSデザインこそが生きがいの人だっているかもしれない。HTMLの構造にある意味ゆがんだ美的感覚を持つ者もいるだろう。論理的な構造のHTMLを書き、ユーザビリティを考え抜いたデザインを施す。また、それについて色々書く。素晴らしい。実に素晴らしい受け皿だ。しかしその中身はどうだ。その皿に盛り付けられた文章はどうだ。「はじめに文章ありき」とかそういうハナシではなく、その文章自体の面白さのハナシだ。その文章自体のクオリティのハナシだ。どうでもいいような内容もあれば、どうでもいいような内容を長々と書く者もいる。その程度の内容の為に、ここまで洗練された受け皿が必要か?と思うことしばしば。HTMLやCSSといった「外側」に拘るほど本質を見失いがちなのだろう。
今書いているこの文章にしたってそうだ。これが何かの為になるのか?誰かに何らかの影響を与えるのか?与えたところで意味はあるのか?こんなもの書くくらいなら、実家の母に「元気ですか」のひとつでもメールを送ればいい。愛する人に「愛してる」と伝える方が余程人間らしい。あなたは「Web制作のハナシじゃなきゃいいのか」と思うかもしれない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。そして、そうとわかりつつも、オレは、キミは今後もWeb制作談義という非生産的活動を黙々と行っていくのだろう。
ただ、CSSで初めて「段組」とかを理解できた時のような、あの充実感はもう二度と味わえないと思う。初めてマークアップを使ってデザインした時の感動はもう二度と味わえないと思う。初めてインターネットを通じて、第三者と言葉を交わし意思の疎通を行った時の衝撃はもう二度と味わえないと思う。当たり前でないことが当たり前になって、さらに当たり前でないことを求め、何もかもが当たり前になっていく。前述したが、オレは不自由の中で自由を探すのが好きだ。だが、自由の中で不自由を探すのは嫌いだ。抽象的な表現で読者にはこの辺のことは伝わらないかもしれない。まあ、伝わったところで意味もないわけだが。
とりあえず、今後は好きなこと、やりたいこと、金になることだけやっていこうと思う。
うちには布団がないのでいい加減買おうということになって、本屋でカタログを貰ってインターネットショッピングをやってみた。ニッセンで。
分厚くて重い本を片手に四苦八苦しながら入力を行っていたが、住所入力で何度も失敗。最初のトラップは番地も「全角で打て」なるもの。なーんで全角でないとダメなんだ。戻ると、入力したパスワードやEメールアドレスが消えている。怒りをこらえて再入力。またダメ。「-」が「-」になってなかった。戻る。パスワードやEメールアドレスが消えている。再度入力。ダメ。よく見ると「カタカナ」と「全角数字・記号」しか受け付けないのだと。確かに、そう書けと書いてはある。でもそれって気付きにくいなあ。入力欄に「カタカナでかけ」とか書いてあってフォーカスしたら消える、みてえなエキサイト翻訳っぽい仕様とかにするとか、現状のままでもユーザビリティ向上させる手段は色々あると思うのだ。そういうクレームをつける人はいないのか。オレがアホなだけか。住所入力でカタカナと全角数字だけしか受け付けない、なんて常識は少なくともオレには無い。とりあえず苦情メールを出そうとしたが、フォームからの入力を必須とするもので、電話番号だとか不要なはずの入力も迫られたので送信をやめた。
インターネットショッピングは見た目には人間が介入しない。その分、客の姿も見えにくいものだ。中には電話とかで文句言う人もいるかもしれないが、大抵はオレのように不満を残してそれを伝えず、こうしてこんなところにそれを書くやつだっている。オレだってな、別にネタで書いてるわけではないんでね。どうせなら「ニッセンオンラインはわかりやすくて親切丁寧、おまけに良品安価」とか書いてあげたいが、入力を拒否るとかもう前提以前の問題。
ニッセンの担当者様へ。特に言うことは無い。↑お読み下さい。

以前宇多田への対抗策として考案した「マラソンLV20-テトリス50連続」をようやく達成。はしたの得点はTスピンボーナスな。
その後、Tスピンを駆使して1206000を超える1258000を達成。但し、50連続ではなく途中何度か失敗している。スコアだけを考えるのならラインを消さずに手軽に8000点を得るこのシステムを使いまくるべきだ。
その2.しょこたんではなくどうみても宇多田でした。本当に
以前もちょろっと書いたが、最近はソーシャルブックマークからのアクセスが多く、記事からのリンク、俗称「文中リンク」というものが圧倒的に減った。他所はどうだか知らないがおそらく平均的にそんな感じなのだと思う。自分でも一応はてなのソレを使ってみたことがあるのだが、まったく意味がわからなかった。こういうときは「とは検索」。で、出てきたのは
ソーシャルブックマークは単純なオンラインブックマークサービスとは異なり、多くのユーザでブックマークを共有し、分類や人気度、コメント、解説などの情報を付加していくことに主眼が置かれる。特に、最近のサービスでは分類に従来のWebディレクトリのような固定的・階層的な分類法ではなく、ユーザが自由に設定できる「タグ」と呼ばれる単語やフレーズを利用しているものが多い。ユーザは登録時に一つのアドレスに複数の任意のタグをつけることができ、また、複数のユーザが一つのアドレスにタグをつけることができる。これにより、自分と同じ感心を持つユーザのブックマークを閲覧したり、自分の思いつかなかった切り口の共通点により新しいサイトを発見することができる。
だそうだ。オレはウェブ2.0の正体は人類補完計画(※知らん人はエヴァンゲリオンを見るなり)だと思っているのだが、これもその中のひとつ。一見、合理的で便利なシロモノだとは思う反面、なぜ、自分と同じ感心を持つユーザのブックマークを閲覧したり、自分の思いつかなかった切り口の共通点により新しいサイトを発見する必要があるのだろうかと思ってしまう。
ネット上には便利な機能に満ち溢れたものが満ち溢れていて、それは確かに便利で、皆も使ってるから自分も使ったりして、それがどんどん広がって。でも、多くの人はそれを自分で選んで有効に使っていると錯覚しているだけなような気がする。エロ本を与えられたサルは延々とマスターベーションをするというハナシがあるが、それとまったく同じ。ネット上の面白ネタを延々と探す君らの姿は哀れだ。せっせとブックマークを行う君らの姿は哀れだ。そうしてほとんどが他力だけで構成された他力世界が構築されていくのだろう。まあ、百年後くらいのハナシだが。
また、コメント機能というやつがあって、ブックマークのついでにメモ書きみたいなものを残す人も居る。それはいいのだが、意見や感想などを書く人もいて。これ、何がしたいのだろうかと思う。例えば、オレの書いた記事に対してそれが書かれていたとして、確かに俺自身それを見る機会はあるし、そんなの見ないかもしれないし、ソーシャルブックマークの性質から考えれば同じ記事をブックマークした人、する人へのメッセージと考えられるわけだが、じゃあそれが、だから何なの?と思う。「自分はこう思いました、あなたはどう思う」か「自分はこう思いました、あなたもこう思え」か。これは賛辞も批判も限らないハナシ。なんだこれは、チキンで低能の集団か。こんな遠隔的アクションを集団でやって何か変わるのか。ただ同類の集団の意思だけが集合しただけで何も生み出さないだろう。
別にSBMには限らないんだが、何事にも「目的ありき」だとオレは思ってる。結局ソーシャルブックマーク使ってる人は何がしたいのか、目的は何なのか。その行為にどんな意味があるのか。それが結果的にどんな効果をもたらすのか。別に使うなとは言っていない。その目的はなんなのだろうか。無けりゃ、サルだ。
福岡市の老舗製菓会社が販売する菓子「ひよ子」の形状が知的財産権として保護される「立体商標」にあたるかどうかが争われた訴訟の判決で、知財高裁は29日、商標登録を認めた特許庁の審決を取り消した。類似のひよこ形の菓子「二鶴の親子」を販売する同市の製菓会社の訴えを認めた。
中野哲弘裁判長は「鳥の形状と極めて類似した菓子が日本全国に多数存在し、和菓子としてありふれたものとの評価を免れない」と指摘。「(広告で使われている)『ひよ子』の文字商標はともかく、立体商標は全国的な知名度を獲得していない」と述べた。
特許庁は、「ひよ子は大正期以来の長年の歴史があり、小さなくちばしと目の形など他と違う特徴がある」として、立体商標を認めていた。
参考:去年の裁判のハナシ『特許庁、「ひよ子」の立体商標登録の有効性認める審決』
冷静に考えてみろ。その「立体商標」とやらを有すべき者は「ひよこ自身」だぜ。全国のひよまん会社は全国の「ひよこ(ホンモノ)」に餌代資金でも援助してあげな。
それにしてもひよまんはこんなにあるのか。